松本充郎先生-追悼集-

松本先生のこと

湯川 拓(東京大学准教授)

「いつもにぎやかな我が家ですいません」。今年の2月、ご自宅にお伺いするための日程調整メールの中で松本先生が僕にお書きになった一節だ。高校時代のご友人も来られるということを受けてのもので、何気なく書かれたのだろうが、なぜだかひどく印象に残っている。こちらはある種の悲壮感をもってお伺いしようとする中(結果的にはこの時が実際にお会いした最後の機会となった)、「にぎやかな我が家」という明るい調子に虚を突かれたのかもしれない。

しかし、松本先生は御病気になられてからもメールの文面だけではなく、お会いした時にも変わらず接してくださった。ご自身の研究について大いに語られ、僕の研究について訊いてくださり、社会の不正義に憤られ、学生時代の思い出話に花を咲かせ、ご子息の進路について方針を述べられていた(ついでに僕の住宅ローンの相談にまで乗ってくださった)。見た目は痩せておられ御病気であることは隠しようもなかったが、後ろ向きな話は一切なさらなかった。持参したささやかなお見舞いのお金は頑として受け取りを拒まれた。逆に5月には先生のご研究への僅かなお手伝いへの御礼として高知のカツオを送ってくださり、そこには「うまいですよ」と先生らしい口調のメールが添えられていた。「先生、どうしてそんなに気を使ってくださるのですか」と僕は思った。どうしてこんな時にまで、弱音や恨み言を言ったりしないのですか。あるいは、もしかしてこちらが深刻に捉えすぎていて、実はこのままの病状でずっとずっといけるのではないかという的外れな期待を抱きすらした。でも、考えてみれば、それが松本先生というお人柄だったのだ。僕の6年半の阪大時代、最若手であった自分を常に気にかけてくださり、いつも一緒に笑って一緒に怒ってくださった。法学が全くの素人である僕相手にも、楽しそうにご研究について教えてくださった。そして、何より嬉しそうにご家族について語っておられた。

大阪に出張に行った際には、かつてのように12時40分に松本先生と大久保先生の部屋をノックしてお昼に誘うというサプライズ案を温めていた。きっと松本先生は、まずはしっかり大仰に驚いてくださった後、顔をくしゃっとした笑顔で「いきましょう!」と仰ってくれるだろう。しかし、もうその機会は永遠に失われたのだと思うと愕然としてしまう。あれだけ何百回とご一緒していた昼食なのに。

僕は先生からのご恩に一体何をお返しできただろうか。先生は「な~に言ってんですか、お世話になったのはこっちのほうですよ」なんて言うだろう。でも僕は大学教員生活の第一歩において、先生のような方と知り合えたことは何よりの幸運だったと思っていますよ。本当にありがとうございました。

2019年4月 大阪大学豊中キャンパスにて撮影