著書・論文

【書評】松林哲也著『何が投票率を高めるのか』

松林哲也 著 『何が投票率を高めるのか』

(有斐閣、2023年8月発行)


関西大学法学部 助教

淺野良成

 

 

気がつけば、投票率の低下が問題視されてから久しい。選挙の直前に、「まずは自分なりに考えて一票を投じよう」「一人ひとりが主権者としての自覚を持とう」といった啓発メッセージを目にすることも当たり前になっている。しかし、そうしたメッセージにどれほど意味があるのだろうか?投票率が上がらないのは、主権者としての自覚が人々に足りないといった気持ちの問題なのだろうか?

本書は、投票率を向上させるために何が出来るのかについて、具体的なエビデンスに基づいて論じた本である。以下ではまず、本書の特徴を紹介しつつ、評者が思うおすすめの読み方をいくつか提案したい。その上で、本書から私たちが何を学べるのか、もとい評者が何を学んだのかを述べていく。

 

本書をどのように読むか?

著者である松林哲也教授

本書は、投票率が低下した現状や本全体の概要を説明した第1章、投票率を左右する要因を検証した第2章から第7章、投票率に関するデータの取り方を解説した第8章、投票率の向上/低下がもたらす政策的帰結を述べた第9章で構成されている。このうち第2章から第7章は、投票率を左右しそうな条件(筆者の表現では環境要因)を膨大なデータを駆使して一つずつ検証している。

第2章から第7章の分析はそれぞれ独立しているため、関心のある箇所から読み進めても問題ない。本書に興味を持つ人の中には、実際に選挙の現場に携わっている実務家も多くおられるだろう。実務に携わる人は、第1章に目を通した上で、ご自身の経験と照らして読み進められそうな章に飛んでみて欲しい。期日前投票所の増設に関わった経験があれば第2章、選挙啓発運動を担当していれば第4章といった具合だ。また、政治参加に関心のある学生は、目次のタイトルから面白そうだと思った章をまずは読んでみよう。

本書の分析結果はいずれも、データに基づいて「〇〇という条件の下では投票率が何%ほど上がる」といった数字で表されている。このように聞くと、数学が苦手な自分について行けるだろうかと不安に思う人もいるかもしれない。しかし筆者は、最先端の高度な統計手法を用いながらも、その高度さを良い意味で読者に感じさせない工夫を随所に凝らしている。

例えば、統計モデルの詳細はコラムで補足し、本文を読み進める上では、数式が分からなくても支障がないように配慮されている。また、グラフに付けられたタイトルが秀逸である。「図5-8 選挙制度改革後に地方と都市の投票格差が縮小した」といったように、そのグラフから何を読み取れるかがタイトルに要約されている。統計学の知識に不安を持つ人や学術書に読み慣れていない人は、グラフを先に見て筆者の主張をイメージしてから、本文に戻っても良いかもしれない。

 

本書から何を学べるか?

それでは、本書の知見から私たちはどのような示唆を得られるだろうか。本書の面白い点として、投票率を向上させる効果が見られなかった分析結果も載せていることを挙げられる。第4章で筆者は、大阪府豊中市で行ったフィールド実験に基づき、投票を呼び掛けるメッセージを工夫しても投票率が変化しなかったことを示している。実施された政策の効果を知りたい実務家にせよ、卒業論文や学位論文を書いている学生にせよ、「有意な効果は見られませんでした」といった報告を避けたがる人が多い。しかし、客観的な根拠に基づいて政策を設計するためには、その政策に効果があったかどうかを把握することが不可欠である。本書に示された筆者の誠実な姿勢をぜひ多くの方に見習っていただきたい。

また、私たちが今後さらに取り組むべき課題のヒントも筆者は数多く提示している。例えば、女性議員の増加が投票率の向上に繋がることを示した第7章は、東京都23区という特殊な地域を分析対象にしており、他の地域でも検証が必要なことを筆者自身が認めている。政治参加に興味はあるが研究の進め方に悩んでいるという人は、本書がやり残した課題にチャレンジしてみると道が開けるかもしれない。

ちなみに評者は、選挙制度改革によって衆院選における地方部と都市部の投票格差が縮小したという第5章の分析を見て、選挙制度改革の効果が波及して参院選や地方議会選でも地方部の投票意欲が下がっていないかが気になった。本書の主張を踏まえて、評者も新しい研究に取り組んでみたいと思う。

 

本書を読み終えると、「環境を変えてもたった数%しか投票率が変わらないのか」と感じる人もいれば、「環境を少し変えるだけでも投票率は変わるのか」と感じる人もいるだろう。しかし、効果量に対する評価に違いがあっても、エビデンスを踏まえて議論を交わせれば、低投票率の現状をただ嘆くよりはずっと前進している。そうした議論の土台となるエビデンスを実直に積み上げてこられた筆者には、改めて心からの敬意を表したい。