松本充郎先生-追悼集-

追悼・松本充郎先生

大久保邦彦(OSIPP教授)

松本充郎先生は、去る2020年7月15日に、49歳の若さでこの世を去られました。ちょうど1年ほど前に厄介な病気が見つかりました。そのとき、「これからは、論文集をまとめ、家族旅行をすることを最優先にしたい」と言われていたのが耳に焼き付いています。そのときすでに、最悪の事態を覚悟されているように感じました。

 

最初の入院は長引きましたが、秋になってからは、論文集の執筆に向けて、邁進されていました。今年の4月には、「論文はかなり書きあがったので、何とか出版と学位取得にこぎつけたい」と言われ、出版助成と学位取得の手続について相談を受けました。実際、4月22日に、合計で8万字以上にもなる2本の論文を阪大法学会に投稿されており、論文集の出版に向けての作業は、着々と進んでいました。しかし反面、医師からは「ぼちぼち万が一に備えて置くように」と告げられたとのことでした。

松本先生は、2012年にOSIPPに赴任されました。大学院で環境法・国際環境法を、法学部で国際環境法を、共通教育で日本国憲法を、そして可能であれば英語で講義ができる人を探すという難題が、わたしたちの前に立ちはだかっていました。しかし、そこに松本先生が救世主のごとく現れ、問題は氷解しました。辛口で評判の弟弟子から「この業界で一番いい人」と太鼓判を押されるほど、人格的にもすぐれた人でした。

松本先生のご専門は行政法・環境法ですが、特に水法を研究されています。修士課程で法哲学を専攻されていたこともあり、視野が広く、採用時には審査委員の間で驚嘆の声が上がりました。阪大に来られてからは、工学系の研究者とメコン川の共同研究もされていました。また、諸外国の研究者や実務家と交流するため、多くの国を訪問されていました。アメリカでダムを見学したこと、ウィーンでオペラ「三人姉妹」を観たことなど、楽しそうに話しておられました。国内でも、諸々の委員を務められ、社会貢献をされていました。十和田湖の水道水源保護条例にも関わられました。OSIPPの特徴として学際性・国際性・実務性が挙げられますが、松本先生はこのすべてを兼ね備えておられました。まさにOSIPPのために生まれてきたような人でした。大阪大学ではダイバーシティが求められていますが、松本研究室の最後の院生は、エジプト・インドネシア・中国からの留学生と、定年退職された日本人の蝶の研究家で、阪大全体の縮図のようでした。松本先生がいなくなった穴をどのように埋めたらよいのか、わたしたちは途方に暮れるばかりです。

仕事面はもちろんですが、私生活でも、3年ほど前に念願のマイホームを建てられたばかりで、まだ2人のお子様も小さく、やり残されたことがたくさんあり、無念だったと思います。しかし、最期まで取り乱すことなく、論文集の出版に向けて邁進されていました。松本先生は人を褒めるときによく「徳が高い」と言われていましたが、松本先生こそ、徳の高い人でした。

残された者としては、まず、松本先生の業績をまとまった形で残すために、最後の目標にされていた論文集の出版に向けて、お手伝いをしたいと考えております。松本先生のご冥福をお祈りします。

2012年4月OSIPP着任時の集合写真(最前列、左から2番目が松本先生)