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【My Favorite】山下拓朗 教授「アガサ・クリスティーの小説」

【My Favorite】
このシリーズでは、OSIPP教員の“推し”をご紹介します。


 

山下拓朗 教授「アガサ・クリスティーの小説」

 

私の推しは「アガサ・クリスティーの小説」です。

記憶の端にクリスティーが登場するのは私自身のアメリカ留学時代、それは空港の入国審査の列に並んでいた時のことです。まったく進まない列、飛行機の中で思うように眠れず疲れ切った頭と体。この苦行を淡々とこなすための秘策が、クリスティーの小説でした。夏冬の長期休暇のたびに新しく買った文庫本は、私のパスポート・スタンプとともに増えていきました。

 

左 :「第3の女」・右:“THE CLOCLS”(英語版)

なぜ、クリスティーなのか。推理小説とはいえ、本格派のミステリーが好きな人には眉を顰められそうな要素もあります。現代の推理小説作品に比べれば、ディテールやコンテクストがすっきりとし過ぎているかもしれません。私も、かつては本格派や現代の作品たちにも手を出したことがありました。しかし、これらの作品は私には重すぎるのです!もちろん物理的な重さではなく、心理的な重さ、読者に要求されるコミットメントの大きさです。例えば、本格派と呼ばれる作品は、推理小説のパズル的な側面を重視しますので、それを楽しむには神経を研ぎ澄ましながら読み、かつ思考するという作業を求められます。また、現代の作品のディテールは、私をその世界にどっぷりと引き込み、読み終えるまで、ときに読み終えても、そこから離してくれません。ともに「読み応えのある本」のよい条件ですが、その分、重い。10時間超のフライトを終え、ほとんど眠れず、いままた入国審査を待つ長蛇の列の最後尾に立ったのです。こんなときに、読み応えのある重い本を…いやいや読みたくない!読みたくないでしょう!

 

そうなのです。クリスティーはそこが、とてもほどよい加減なのです。心和やかに読める、そこに私は惹かれるのでしょう。私はクリスティーの小説たちを「牧歌的推理小説」と呼ぶことを提唱したいところです。魅力的なキャラクター、軽妙なセリフの応酬、トリックの絶妙な混み入り具合、こういう要素があってこそ、牧歌的推理小説は成立します。半分ぼけーっとしながら、でも面白く話の筋を追える。なるほど、そういうことだったのかと読み終えているのですが、少し時間が経つと、その内容についての記憶がなくなってるのです。そしてまたそのうちに読み返す。作品の数も多いので、次に同じ作品に戻ってくるのは早くても数年後。そのときにはすっかりその話の犯人とトリックを忘れて、また楽しく読めるのです。そうです、クリスティー作品の無限ループの完成です。

 

自宅にあるクリスティーの小説(写真は一部)

私自身、クリスティーの作品は何度も読み返しています。クリスティーのメインキャラクターを紹介すると、代表的なのはエルキュール・ポアロ、そしてジェーン・マープル。あとはトミーとタペンスという夫婦の作品と、一話限りのメインキャラクターたちです。ポアロ作品群の中での私のおすすめは「ポアロのクリスマス」、マープルでは「バートラム・ホテルにて」、いずれも牧歌度に応じた選出です。でも、読み返したくなる度合いで言うと「五匹の子豚」でしょうか。犯人もトリックもわかっていながら、ラストの犯人の表情を想像したいがために、何度も初めから読んでしまう作品です。妻のおすすめは「ナイルに死す」、長女のおすすめは「招かれざる客」だそうです。逆に初めての読者にはあまりおすすめしないものとしては、(どれも面白くて好きなのですが)「カーテン」「ねじれた家」「アクロイド殺し」あたりでしょうか。いずれも、ある程度牧歌的世界に慣れた後でのスパイスとして読んでいただくのがよいかと思います。

 

ある夕暮れ、雨音を微かに聞きながら、暖かい部屋で一人掛けソファに身を沈め、すでに何度となく読んだ作品のページをめくる。私は「ああそういえば、こういう展開だった…ところで今日は雨の中外出しなくてほんとに良かった」と心の中でつぶやきながら、カフェオレを啜る…なんていう贅沢な時間を過ごしてみたいですネ。でも、次にポアロを読むのは、結局また入国審査の列だったりして…。