【書評】鄒燦 著『「盧溝橋事件記念日」をめぐる日本と中国』
2019.1.7
盧溝橋事件記念と戦争認識の構築
書評:鄒燦『「盧溝橋事件記念日」をめぐる日本と中国』(大阪大学出版会,2018年)
李秉奎(北京大学)
鄒燦の著書『「盧溝橋事件記念日」をめぐる日本と中国:政治的語りに見る日中戦争像の比較研究』(大阪大学出版会,2018年)は、戦時中の日本国内、中国の日本軍占領地、国民党統治区域(重慶を中心とした蒋介石政権の統治地域)、中国共産党根拠地の4つの地域を対象に、それぞれの政治的言説を比較研究したものであり、異なる政治空間がどのように戦争記念日を利用し、戦争の象徴へと作り上げていったかを分析したものである。同時に、中日両国で戦争の認識や記憶が分岐する点も追求した。このような研究は、従来ほとんど見られなかった貴重な学術的成果である。
第二次世界大戦後の70余年間、中日両国の戦争の記憶や認識には少なからぬ分岐点が存在した。一般に日本民衆の戦争の記憶は、東京大空襲、沖縄戦、原子爆弾投下など「被害」経験と関わるものであり、そこには「英米同罪史観」、「自衛戦争史観」、「解放戦争史観」などの認識も長期にわたって存在していた。一方、中国民衆の戦争の記憶と戦争認識は、基本的に「侵略―反抗―勝利」というロジックにもとづく。日本の侵略を受けたというロジックの起点は非常に重要であり、侵略を否定したり美化したりすることは、中国では挑戦や侮辱と受けとめられ否定される。このように同じ戦争をめぐって、中国と日本の戦争の記憶と認識は大きく異なっている。二つの国がそれぞれ異なった記憶や認識を持つに至った分岐点は何なのか。これは学術的な視点からの研究に値する重要な課題である。
学界において中日戦争や盧溝橋事件に関する研究は非常に多い。しかし、それを戦時記念や戦争認識との関係について研究したものは極めて少ない。その点で鄒燦の研究は高く評価できる。鄒燦は具体的な歴史的考証作業を行う場合にも、視野を戦争が引き起こした社会変動だけに限定したりせず、「七七」(盧溝橋事件勃発日)記念を中心に、戦時中にいかにして異なる政治的言説がうみだされたかということを対比的に捉えようとした。そして、歴史と現実、戦時と戦後を結びつけ、読者に対して新たな歴史的情景を示して見せた。これが本書を推薦する第一の理由である。
近年、戦時体験の観点から、民衆、グループ、家庭あるいは個人がもっている戦争の様々な記憶の関係性を研究するものが少なくない。しかし、鄒燦の著書はこの種の研究ではない。鄒燦が注目するのは、単純な民間の歴史記憶ではなく、戦時中の政治的言説がどのように戦争の記憶に影響を与えたか、具体的には、異なる政治勢力が盧溝橋事件記念日を通じてどのような戦争イメージを作り上げたかという点である。そこには当然ながら、これらの記念活動が民衆の戦争の記憶にどのような影響を与えたかについての分析も含まれている。
鄒燦の著書では、「虚」(記念日、記念儀式)と「実」(戦争の歴史)の関係が適切に扱われている。「過去」の戦争と「当時」の戦時、主体となる政治的勢力と客体となる民衆の戦争イメージの間の関係を分析することによって、戦時の記念儀式、歴史の記憶などの研究領域が魅力あるものであることを読者に示している。実際、本書は「記念」というキーワードを通じて、異なる政治空間における「現在」と「過去」の間の連続性を強調すると同時に、各政治主体が複製や修正などの方法によって民衆の戦争の記憶と戦争認識を左右しようとしたことも強調している。日本および中国の公文書、刊行資料、回想録など大量の史料に基づいて、本書は盧溝橋事件研究に新たな生命力を与え、関連する領域に新鮮な息吹を呼び込んだのである。
本書が提示する主題は、一つの戦争からなぜ異なる戦争の記憶と戦争認識が生まれたかという疑問にある。著者が導き出した結論は、戦争は異なる政治言説やプロパガンダ、そして異なる記念儀式によって、最終的に異なる戦争「イメージ」が形作られるというものであった。筆者が強調するのは、異なる政治言説が一つの戦争について異なったイメージを「作り出す」ということであり、それがすなわち中日戦争の記憶と戦争認識が分岐する根本原因であり、記念儀式を通じてイメージが複製、修正され、異なる記憶や認識が生み出されるというものだった。戦争それ自体は複雑であり、異なる政治権力が記念儀式を掌握し世論を誘導するといっても過言ではないが、異なる政治空間に属する民衆と戦争の間には多様なルートがあり、彼らの様々な利害関係や経験、感性などによって異なる記憶や認識が生まれる。これは外から「作り上げ」たり「構築」したりできるものではなく、鄒燦の研究の趣旨もここにはない。著者の最も重要な問題関心は、「記念」が歴史と現実の間で発揮した相互関連作用である。つまり、筆者は「記念」や「儀式」が戦争認識を作り上げる際の「強化」や「規範」の作用に注目するのである。前者が後者を導き生み出し、それが戦争認識を分岐させる原因の一つとなった。これは注目に値する視点である。
鄒燦の著作は、戦後以降の戦争認識研究に満足することなく、戦争中までさかのぼり、当時の宣伝や記念儀式などを通じて、戦争イメージの構築を分析するものである。同時に、鄒燦は中国の3つの政治的に異なる地域をとりあげ、そこで行われている盧溝橋事件記念活動を分析した。そこには戦時と戦後を理解する重要な学術的意義がある。鄒燦の著作を読むことによって、読者は日中両国の戦争認識や戦争の記憶に存在する歴史的分岐点を発見するだろう。本書は今後の関連する研究の中で、疑いなく重要な啓発的意義を有している。
翻訳:坂井田夕起子(愛知大学)
注:李秉奎「戦時囲繞盧溝橋事変的記念活動与戦争認識建構―評鄒燦著『日本与中国的“盧溝橋事件記念日”』」(『抗日戦争研究』2018年第4期、pp.135-138)より抜粋・翻訳。
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著者紹介
鄒 燦(ZOU Can)
大阪大学大学院国際公共政策研究科研究科助教
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