著書・論文

【書評】室岡健志 著『行動経済学』

室岡健志 著 『行動経済学』

(日本評論社、2023年)


 

専修大学経済学部 専任講師
森田公之

 

本書は簡潔にいうと名著である.というと,褒めすぎていてうさんくさい,著者に忖度しているのか,と感じた人もいると思うので,評者と著者の関係をまず明らかにする.評者は著者と共同研究(本書7.4節で紹介されている)をしたことがあり,研究者として著者は先輩である.今でも著者に会うと緊張するが,それは坊主頭のストイックな見た目と尊敬からくる畏怖が原因であり,本書の評価には全く関係ない.むしろ真っ当な批判をすれば喜んでくれるような人だ.以下では,本書の貢献や特徴を述べていく.

 

本書の貢献

行動経済学の一般的な人気を反映し,関連書籍は既に多数刊行されている.しかし,その多くはウケそうな話を紹介するような一般書であり,体系的に研究を整理する意図はない.そのため,一般書を読んで行動経済学に関心を持った人が,いざ自身の研究に取り入れようとすると,一般書と学術研究の間に大きな隔たりがあることに気づくと思う.

本書の貢献は,多くのトピックに対して,代表的なモデルを解説することと,関連する実験・実証結果そして豊富な応用を紹介することで,この隔たりを埋める点にある.これは,研究に取組む予定がなくても,行動経済学を学術的に正確に知りたい人にも有用だろう.大学や大学院の講義を受講することでこの隔たりを埋められる科目もあるが,行動経済学は教えられる人(研究してる人)が少ないため,多くの大学では講義が未だ開講されていないと思う(OSIPPでは著者が開講している).このような現状を踏まえると,本書の貢献は大きいと言える.

 

本書の特徴

「はしがき」に書いてある通り,本書の特徴は,現代の行動経済学の全体像を体系的にまとめている点にある.目次を見てもそれを見てとれるだろう.ここでは,読み進めていくと気づく本書の特徴をもう一つ紹介したい.

人々のある行動が,行動経済学のある理論によって説明できた場合,なるほど人々の意思決定の背後にはそんなロジックがあるのかと素直に納得する人もいれば,行動経済学を持ち出さなくても合理的なモデル(伝統的なモデル)を使っても同じように説明できるでしょと思う人もいるだろう.後者の経済学の考え方が染み付いているような人が抱く疑問に答えることは重要であり,行動経済学の研究に取り組む際には,この疑問と向き合わなければならない.本書では,伝統的なモデルの紹介をした後,バイアスがある場合とない場合を比較し,結果が質的に異なることを紹介することで後者の疑問に答える構成になっている.伝統的なミクロ経済理論の拡張・発展としての行動経済学を解説することを目的とした本書の特徴の一つと言える.

例えば,第2章では,指数割引を紹介した後,近視眼性を組み入れたモデルを紹介し,コミットメントの価値が異なることを解説している.第7章の合理的期待に基づく参照点依存のモデルを応用した作業割当の話では,作業割当を受ける人が参照点依存型の効用関数を持つ場合と,リスク中立または回避型の効用関数を持つ場合とで,望ましい作業割当が異なることを説明している.

 

誰にオススメか?

本書は,行動経済学に関心があり,学部レベルのミクロ経済学を学んだことのある全ての学生,大学教員,そして実務家に対してオススメできる.行動経済学に関心はあるが,学部レベルのミクロ経済学を既習でない場合,本書を読み進めるのが困難かもしれない.その場合,もし行動経済学を自身の研究などに活用したいと思うならば,本書を読むためにどんな知識が欠けているかを確認し,それらの学習をした上で,本書に再度挑戦して欲しい.研究への架け橋という点において,本書はそのくらい類書にない価値がある.

 

著者と読者の今後の努力に期待

著者である室岡健志先生

著者は「本書が,行動経済学と伝統的な経済学の各分野との,日本における交流・統合に少しでも寄与できることを心から願う(p.10)」と述べている.評者は,このような交流や統合を促すために,行動経済学に関する研究会を定期的に開催してくれることを著者に期待している.また,本書をきっかけに行動経済学の研究を始めた研究者や実務家(読者)たちには,その研究会で自身の研究を発表することを期待している.著者と読者たちが交流できる場を設けることで,著者が望むような日本における交流・統合は現実的に促進されるだろう.そのような研究会が開催されると,大学院生などの若手が最先端の研究にふれやすくなることで,行動経済学の研究の裾野が広がり,長期的により大きな教育効果も生むだろう.本書はOSIPPで著者が開講している講義にも基づいているが,他大学の研究者も参加できるこの講義をきっかけに行動経済学を研究し始めた研究者も出てきており,実際に交流の場を設ける効果はあると思う.この書評の冒頭で,著者に会うと緊張すると述べたが,むしろ優しくて面倒見のいい人だと感じるはずなので安心して研究会に参加して欲しい.