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【書評】梅崎修・松繁寿和・脇坂明 著『「仕事映画」に学ぶキャリアデザイン』

梅崎修・松繁寿和・脇坂明 著
『「仕事映画」に学ぶキャリアデザイン』
(有斐閣、2020年7月)

 

追手門学院大学地域創造学部特任助教
須川まり

 

1895年に世界で最初に上映された作品に『工場の出口』がある。本作では工場から仕事を終えて足早に帰る労働者の姿を近代社会の象徴として映し出され、映画史初期から映画と労働の親和性は高いことが分かる。本書は「仕事映画」(職場を舞台にして働く人たちが登場する映画)から労働に関するあらゆる要素を抽出し、労働経済学的観点から両者の親和性の高さを証明している。
本書の読者は仕事映画を通して他者の職業を体験することで、第1部ではキャリアデザインの描き方、第2部では労働史や雇用形態と社会問題の関係性を学ぶことになる。本書の目的は仕事の世界を深く理解することである。この目的に対して三つの学び方を提示している。一つ目は日常では見ることのできない仕事場のバックヤードを学ぶ。二つ目はフィクションと実社会における仕事場の違いを社会科学的見地から学ぶ。三つ目は非現実的な映画の場面から、当時の労働者の社会意識を想像する。いずれも映画の特性である登場人物への「同一化」を応用している。読者は仕事映画の観客となり労働者に感情移入することで様々な仕事や労働者の価値観を知り、自身のキャリアデザインを描くように導かれていく。

第1部はキャリアデザインの流れに沿って議論が展開される。映画作品と同じ時代を生きていない読者にとって、日本のボトムアップ型経営の特異性(第3章)や時代の変化に伴う住む場所による仕事観の違い(第5章)、小規模企業経営における右腕の重要性(第7章)といった背景は作品を観るだけでは知る術がない。このように第1部は俯瞰的に一般社会における労働環境を学んだうえで、自分らしい働き方をいかに見出していくのか、ワークライフバランスの判断軸を提示している。

第2部では社会変化に対する企業経営・職業の展開とその歴史について論じている。過去と現代の労働環境の類似点(第9章)や所得格差による貧困と教育問題(第14章)、移民・外国人労働者の受け入れによる利益と不利益(第15章)などを明らかにし、読者に既存の仕事観と社会問題を再考させる機会を与える。また経営(第10章)・キャリアデザイン(第11章)の観点からの職業の固定化に関する議論は、職業継続の見通しが立たない経営者と雇用者の両者を手助けしてくれるであろう。現在、少子高齢化と地域格差の問題に続き、新型コロナウィルスの影響で産業変化はさらに激化した。予期せぬ事態への対策のヒントを第2部は提示している。

私は本書の主軸となる労働経済学は専門外であることをご容赦いただきたい、そのため、映画研究者としてキャリアデザインを描き始めた立場から、本書の考察方法について述べていく。全体を通して注目したいのは、我々が見落としがちな登場人物の背景に光を当てている点である。映画学では、映画監督の特徴を探る作家論や、映画ジャンルの特徴を探る映画ジャンル論、作品や登場人物の心理的・文化的・社会的背景を探る作品分析や、編集技法の特徴を読み解くテクスト分析などが主に蓄積されてきた。しかし、昨今は、映画会社の経営に関する研究や、歴史学や建築学など他分野の研究者による作品分析も増え、映画研究手法も多様化している。様々な映画論が探究されるなか、本書は登場人物がどのような環境下で働き、仕事がいかに暮らしに影響を与えるのか、彼らの行動要因を労働環境や当時の経済情勢から読み解いていく。労働経済に重点を置いてこれほど細かく調査している映画研究は貴重である。

本書の目的と外れるが、本書を映画学的観点から見て、仕事映画を映画ジャンルとしての新たな定義の必要性を感じた。部分的だが、アメリカの仕事映画については第10章でM&Aが注目される時代に従業員が一体となる経営を題材にした作品がヒットするアメリカ人の価値観が示され、第13章でも日本のサラリーマン映画として映画黄金期の無責任シリーズなどの出現など、仕事映画の特徴の一部が指摘されている。このような視点は仕事映画を映画ジャンル論に発展させる可能性を秘めているため、労働経済学者の先生方がどのようにいくつもの候補作品から厳選したのか、本書のバックヤードにあたる仕事映画研究会に貴重な考察が潜んでいるに違いない。

先行きの見えない現代社会において、計画的なキャリアデザインはより困難なものになった。第6章では企業の短期的なニーズに合わせすぎると自身の職業アイデンティティを失うと警告し、第12章で「計画的偶発性」(キャリアの8割は偶然で決まる)というキャリア論が紹介されている。研究者という不安定な職業に身を置く立場として、自分らしいキャリア観を大事にしつつ、流動的な仕事を楽しむくらいに構えておこうと私自身のキャリアデザインを見直すきっかけとなった。

本書は、どの世代の読者に対しても、人生の大半の時間を費やす仕事との付き合い方を教えてくれる。今後も時代の変化に合わせて、新たな映画を題材に、私たちのキャリアデザインの手助けとなる続編が出版されることを期待したい。


梅崎修・松繁寿和・脇坂明 著
『「仕事映画」に学ぶキャリアデザイン』
(有斐閣、2020年7月)

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